サンティアゴ・デ・コンポステーラ


キリスト教世界で巡礼が始まったのは、中世初期にさかのぼりま す。エルサレム、ローマ、スペイン北部ガリシア地方のサンティア ゴ・デ・コンポステーラ(以下サンチャゴと略記)の三大聖地の中、 サンチャゴは伝説と奇蹟に満ちた霊場でありました。

 ときは9世紀、スペイン北西の果てに聖ヤコブ(スペイン語でサ ンチャゴ、フランス語でサンジャック)の遺体がみつかったという 噂がひろまったのです。

 当時のスペインはレコンキスタ(国土回復運動)のただ中にあり ました。聖ヤコブの最初の奇蹟は,スペイン北部のクラビーホで起 ったのです。イスラーム軍との戦いのさなかに突如白馬に跨った騎 士姿の聖ヤコブがイスラーム軍を蹴散らして,劣勢のキリスト教軍 を勝利に導いたというのです。この奇蹟によって聖ヤコブへのスペ イン人の思いは確かなものになって行き、やがて聖ヤコブはレコン キスタの守護聖者、ひいてはスペインの守護聖者となったばかりか、 異教徒と闘う聖者として十字軍の精神的支柱とさえなっていくので す。

 聖ヤコブ伝説は中世におけるサンティアゴ巡礼の流行を生んだ最 大の原因となったのでした、その一方で中世初期いらい西ヨーロッ パでブームとなっていた聖堂建設運動にも火を点けることになるの です。

 サンティアゴへの巡礼は11世紀にピークを迎え、その数も年間 50万とも100万ともいわれるほど盛んでありました。そしてそ の時期は丁度ロマネスク美術の最盛期に当たるのです。

フランス内に発する主要なサンチャゴ巡礼路は4つありますが、それらと私 の3年間のフランス・スペイン旅行との関係を纏めてみると次のようになります。

 1)アルルのサン・ジルを出発,トゥールーズ(★),オロロン・サント・ マリーからピレネーのソンポール峠を越え,ハーカを経由してプェンテ・ラ・レイナ(☆)に至る.

2)ル・ピュイのノートル・ダーム大聖堂(※)からコンク(★),モワサツク(★)を通過して オスタバに至る.

 3)ヴェズレーのラ・マドレーヌ聖堂(※)を出発,リムーザン,ペリグーを経てオスタバに至る.

 4)パリのサン・ジャック聖堂を起点にして,オルレアン(※),トゥール,ボルドー(※)を経由してオスタパに至る.

 以上2,3,4の道はオスタバで集まり,そこからシーズの峠(☆)を越え, ブェンテ・ラ・レイナ(☆)で1)の道と合流して,サンティアゴ・デ・コンポステーラ(☆)へと つづくのである.

 ☆:1995年訪問、 ★:1996年訪問 ※:1997年訪問

サンチャゴ大聖堂ファサード


サンチャゴへの主要巡礼路

見えにくくて申し訳ありません。


ロマネスク

ロマネスクという言葉はローマ風という意味で、かつては「ロー マ美術には及ばないもの」という軽蔑の意味を含んで用いられまし た。
しかし今では、中世ヨーロツパに栄え、それぞれの土地で固有 の性格をみせる独創的な宗教美術と考えられています。
ロマネスク 美術は、ヨーロツパにキリスト教が定着した時代に一つの頂点を極 めた美術なのです。
もっとも、初期キリスト教美術に始まりゴシッ ク美術(12世紀中頃から)で完成に至るキリスト教美術の歴史の 中では、ロマネスク美術は単にその発展の一過程を示しているにす ぎないと見る事が出来るかもしれません。しかしロマネスクという 他にみられない独自の美術を創造したという意味では、一つの頂点 を極めたのです。

 確かにゴシック美術は中世美術の完成を意味し、国際的に共通し た造形要素,洗練された美を持ちます、それゆえにかえってヨーロ ッパの各土地土地の風俗習慣、特色が失われてしまったように見え ます。
それに対しロマネスク美術は、そうした土着の特性を十分に 発揮した、つまりヨーロッパの土壌が生んだ美術といえるでしょう。
そこには現代芸術にも通じる芸術的志向や表現方法さえみられるの です。古典芸術の至高の規範の対極に位置するヨーロッパ本来の美 術、その世界を認識させたのがほかならぬロマネスク美術であった のです。

 ロマネスクの美について、うまく解説できませんが、ここでは一 つの例を揚げてみましょう。南仏・ルシヨン地方(ピレネー北麓) の
フノヤール礼拝堂(★)の壁画についての粟津則雄さんの言葉 (*1)の引用であります。

 【粟津】(前略)その壁画はすばらしいものでした。特に『受胎 告知』と『キリストの誕生』の部分がすごい。マリアの顔がすごい ね。(笑)目ん玉を見開いてギラギラ光らせて、とてもルネサンス なんかの優雅なマリアなんてものではない。マリアの枕もとでヨセ フが「また一人分食い扶持が増えちゃった」という顔してね。
(笑)あれが、実にリアルでおもしろいと思った。
 (中略)
 フノヤールの壁画の聖母マリアは、我々が見慣れている優しく、 優雅なマリアではないんだ。あれは、つまり、あの地方で毎日毎日 働いて、汗と脂にまみれて、まさしくあの農婦の顔なんですよ。そ ういう農婦がマリアにならなきゃ、やっぱり救いにならないわけで ね。そういうことを痛感したんですよ。
 (以下略)

 ロマネスクの美の探訪の中には、このような新しい感動の連続が あり、それは私のような信仰などとは無縁の者の心にもしみ入るも のです。

(*1):世界美術大全集 第8巻 「ロマネスク」小学館の付録 にある粟津則雄・長塚安司巻頭対談


フノヤール礼拝堂の壁画 『キリストの誕生』