黒マリアの本質
敏 翁
ここで黒マリア関係のまとめをしてみたい。
その詳細な論考は、田中仁彦「黒マリアの謎」 岩波書店 1993 にある。
他に、柳宗玄「黒い聖母」福武書店 1986 もあるが、宗教民俗学的な点からは
田中氏の本が優れているように思う。
以下のまとめは、殆どこの田中氏の考えに随っているが、私のユング好きの
せいもあって、表現はよりユング的なものになっている。
この地、ガリアのケルト族の地母神像が黒マリアの起源である。それはロー
マの支配下で変形して、「白い土の小像」なども作られた。
ユングによる元型(archetype)としての太母(great mother)
が地母神だと思うが、それは『地なる母の子宮の象徴であり、すべてのものを生み出す豊穣
の地として、あるいは、すべてを呑みつくす死の国への入口として、常に全人
類に共通のイメージとして現れる』(河合隼雄「ユング心理学入門」培風館)
のである。
即ち、ケルト族だけでなく、エジプトのイシス神、ギリシャのデ
メーテルなどどこにでも見られるものなのである。
であるからして、その直接的表現としての黒マリアは鋭い目つきを持ってい
るのである。
これらは、父権的宗教であるキリスト教の支配が強まる中で、抑圧されて行
ったが、元型は当然ながら取り去ることは出来なかった。
そればかりではなく、民衆の反抗が始まるのである。
黒マリア、聖母子像が教会の中に入っていくのである。
これがノートル・ダーム(Notre- Dame = Our Lady)への熱烈な信仰となり、フランス中に
ノートル・ダーム寺院が建立されることになっていく。
その中で、聖母子像の性格も又変わって行く。
君臨し審判する父なる神よりも、神にもっと優しさを求めた民衆の願望が聖
母をより高みへ、「神の母」から「母なる神」へと変貌させたのだ。
そして子供へ慈しみの眼差しを注ぐ優しい母の姿に、さらに小鳥にまで愛情を
現す姿に変わっていったのである。
ここまでくると、これはもう「山川草木悉皆成仏」の考えに近くなっている
のではないかと思うほどである。
そしてこの変化は、人類の平和に向けての進歩の為にも正しい方向であるよう
にも思えるのである。
そして正統カソリックの立場は、それを後から追認するのに終始したのである。
例えば、『「聖母の無原罪懐胎」が教理として正式に認められたのは 1854
年のピオ9世の教皇令によってであり、「聖母被昇天」が教理となるのは更に
それから100年後、1950年のピオ12世の教皇令によってなのである。』
(田中仁彦「黒マリアの謎」)
であるからこの大きな変化は正統カソリックの神学が成したことではなく、
人間の心の奥底にある「普遍的無意識」が成したと云って良いのであろう。